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スタッフの日々
いじめと君
2012年08月09日

大津のいじめ問題以来、朝日新聞で毎日掲載されている「いじめと君」

http://www.asahi.com/special/ijime/

有名人が「いじめられている君へ」「いじめている君へ」「いじめを見ている君へ」と題して、それぞれに向けて語りかけています。

その記事を毎日切り取ってスクラップしています。特に理由があるわけではないのですが、とても必要な気がして。

考えさせられますし、発見もあります。

「いじめられているならば、学校を休んでしまってもいい、逃げてしまってもいい」

こんな意見も多いです。

私の頭の中にはなかった考えでした。でも正しいと思いました。

その場所から離れることで心や体が救われるなら、堂々と逃げてしまえばいいと思います。

逃げた子供を守るのは大人の役目です。親や先生、他の父兄、世間。みんなで守ってあげるべきだと思います。

 

そして私が一番気になる記事は「いじめを見ている君へ」

いじめを知っているのに関係ないと思ったり、見なかったことにしてしまうのはいじめているのと同じこと。

昨日の記事は美輪明宏さんでしたが、「いじめは犯罪。黙認しているのは共犯者だ」と書いています。まさに私もそう思っているので、大きくうなずいてしまいました。

「保身のために黙っていたい気持ちはわかります」そうも書いてありました。

保身。嫌いな言葉のひとつです。学校生活だけではなく、仕事でも保護者としても近所の関係にしても、世の中は「保身」ばかり。

保身は要領のよさのひとつでもあるのでしょうね。そんな要領はくそくらえ、です。

「保身」だけじゃなく、「無関係」も嫌い。

いじめ問題に対しても、かわいそうだね、と同情する言葉はでても、所詮自分に関係のないことだから、右から左へスルー。

そういう人は、もし自分がいじめられていたらとか、自分に子供がいて、その子供がいじめを受けていたらどんな気持ちかなんて、考えられないのですね。

想像力が貧困なのか、思いやりがないのか、目の前の自分のことでいっぱいなのか。残念な人だと思います。

 

やられているほうが、嫌だと感じていたら、それは「いじめ」

娘の小学校時代、グループ内で仲間外れにされたり、登下校で口を聞いてもらえなかったりと、されている子がいました。娘はそのグループではなかったのですが、その子から「ホント、やなんだよね」と聞かされていて。娘がグループの子たちに話しても、「いいの、大丈夫なの!」で終わり。

グループの一人の親と話す機会があったので、さりげなく聞いてみたところ、「大丈夫。あの子たちは小さいときからそういう関係だから。役割をみんなで楽しんでいるんだよ」とびっくりするような答えが返ってきました。

「いやー、それはないよ。だって、うちの娘に嫌だっていってたもん。あなたの子が先頭を切っているわけじゃないだろうけど、一緒になってやったらかわいそうだよ」と反論すると、「じゃ、うちの娘も同じレベルなんじゃない?その子たちと」とピシャリ。

あぁ、この人とは相容れないな、とつくづく思いました。

その後、そのグループと一緒にいることも少なくなり、今では全くバラバラのようなので、一安心ですが。

 

凄惨ないじめじゃなかったとしても、そのときの辛さ、悲しみ、怒りといった気持ちは大人になってからも残っていきます。

普段は忘れていたとしても、何かのきっかけで心の奥がチクンとします。しこりとなって残ってしまう人もいると思います。

そうなってしまったら悲しいけれど、その痛みを知っているということは、誰よりも優しい人になれることでもあるんじゃないかな。

私はそう思います。

 

 

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