2020年04月19日

金曜日。
朝、犬仲間から「公園で遊んでいますー。10時頃までいるよ」と連絡があったので、
「まだでられないー。9時くらいかな」と返事をすると、「じゃあ、あそこ行っちゃう?迎えにいくね」
で、秘密の場所までビューン。
知り合ってまだ1年も経っていないのですが、同じくらいの月齢でうーと仲良しになったことから飼い主同士もよく話すようになったダンママ。
チャリティリードや首輪をオーダーしてくれたり、「何か作るなら手伝うよ!」と声をかけてくれたり、車の運転が苦手だと知っているので、こんな風にこちらが気を遣わないような形で心配りをしてくれる人。
誰にでも感じがよくて帰国子女みたいな気軽さでもありで、本当に素敵な人だなあと思っていました。
話しを聞くと、やっぱり海外がとても長い人でした。それも「カナダはすごーく田舎でね。近くに学校もないから無線授業だったし、もちろん友達も近くには住んでいなくて、遊び相手はイヌイットだったのよ。」とか、「ボルネオ島では大きな猿がそこらにいるようなところにいてね、猿じゃなくてオランウータンだわね。」とか。
だから細かいことは気にしないって大らかさが出ているんだわね!
「海外で育った人だろうなって思っていました。でも日本語もパーフェクト!」というと、「社会人になって会社で叩き込まれたのよ。それまではやっぱりちょっと変だったと思う。」
そして、「私もね、(私)ちゃんのこと、インター育ちか帰国子女だと思っていたのよ。もしくはハーフかなあって。いわゆる日本人っぽさがないわよね。」
ああ、よくいわれます。特に外国の人達に。
とにもかくにも彼女といるととても楽しくて気楽で本当にありがたい存在なのですが、「実は夫が北海道に移動が決まったのよ。、5月1日で!まあ、このご時世だから私が行くのは夏頃になるだろうけれどね。」
今から寂しい私なのでした。
でも、彼女と出会ったおかげで、私も少しだけ懐のサイズがアップできたような気がします。
ありがとう。

土曜日。
朝から降り続いた雨がようやくやんだ夕方、「ご飯作るの面倒だから散歩ついでにどこかでテイクアウトしよーよ」と娘を誘い、犬散歩へ。
ここにする?こっちがいいかな?
と品定めをしながら、近所の小さな公園へ行き、体力のありあまっていた2匹を放して遊ばせて。
「イタリアンで買おうか」と歩いていると、犬仲間のお店の看板が。
「よし、ここで食べていっちゃおう!」
お店に入ると、「なるー!うー!べスも来てるよー」
お店の愛犬、マナも来て、みんなおおはしゃぎ。
犬もヒトも大満足でした。

日曜日。
「犬達、大丈夫か?遊びたいんじゃないのか?」と父から電話。
車で迎えに来てくれて、またまた秘密の場所へGO!
朝、シャンプーをしたばかりなのでTシャツを着せて。
夏のような気候だったので、私もTシャツで気持ちいいー。
コロナで色々と我慢することが多くて、鬱になる人も多いのだとか。
大きな犬がいる私はこんな時でも毎日何時間も外に出ていますが、ドッグランは閉鎖ですし、犬を連れて歩くことも気を遣うので、晴れやかとはいえません。
それでも、こうして、周りの人達の思いやりに助けてもらって、なるもうーも大きなストレスを感じることなく過ごせていますし、私も温かな気持ちで過ごせています。
さっき、NYにいる友人から、「今、こっちでは保護犬を引き取る人が増えているよ!」とニュース記事を張り付けた連絡がきました。
わかる気がします。
もし、犬がいなかったら、こんな状況なので外出する時間もぐーんと減りますし、他者と関わることもほとんどなくなりますから。
「色々と大変だけど、ま、しばらくお籠り生活を楽しむしかないわよ。世界でこんなこと、滅多に味わえないんだから!」といいました。
今回のことでは、みんながそれぞれ、いろんなことを考えさせられているのではないかと思います。
私は周りの人の優しさ、思いやりに感謝するとともに、「相手に必要なことを必要な形で」表すことが大切なのだと実感しています。
自分がいいことだと思っても、それが果たして今、相手にとって必要なものなのだろうか、必要な形なのだろうか、相手が喜ぶことはなんだろうか、、、まずそれを考え、それから相手を気遣わせないように的確な形でさりげなくできたらいいなあって思います。
キーワードは「利他」。
もう、何度言ってるだろう、くらいの言葉ですけれど。
スマートに自然にできたらいいですね。