2019年05月24日
Gさん(視える人。ブログによくでてきます)が下北沢のカフェで15分カード占いをするとのことだったので、「一度Gさんに視て欲しかった!という友人に付き添ってお邪魔します」と連絡。当日になって友人の体調が悪くなってしまったので、私ひとりで行き、視てもらうことにしました。
「元気?」
なんかちょっと照れくさい・・・
イベントの話など近況を報告し、あることについて「ちょっと返事を待っているところなんだけど」というと、
「ああ。それね。今日くらいには返事が来ると思うよ。もう、本当にすぐ来るから。」
すごく確信を持っていうGさん。今こうして話している間にも来るかもよ、くらいの確信感でした。
「じゃ、カードを3枚ひいてみて。」
「それに関しては大丈夫!〇〇さん(私)の思った通りの結果になるから。心配ないわね。」
「じゃ、なんにも考えないで3枚ひいてみて。」
「あれ?今、〇〇さん(私)、こんな気持ちじゃない?へーーー 笑」
当たってる!まさにそんな気持ち 笑
「じゃ、また3枚ひいて。」
「おっ。来るねえ!」
もちろん、こんなに簡単なやりとりではなく、細かな色々を説明してくれたのですが、いつもながらに的確で笑っちゃいます。
最後に「〇〇さん(私)。いつもいうけれど、なんにも心配しなくて大丈夫だと思うよ。色々なことがちゃんと上手く行くようになっているし、神様はちゃーんと〇〇さんにご褒美を与えるから。全く問題なし!」
そうかしらねえ、なんて思いながら帰宅。
と。
返事がっ!
うそーーーーっ、びっくり!
まさか。あれだけ自信がある言い方でGさんがいったのはこれが視えていたってこと!
いやいや驚き。
占いなんて信じないという人もいるでしょうし、視えるなんてない!って人もいるでしょう。神様の存在を信じない人もいるでしょうし、運命や生まれ変わりなんてないって人もいると思います。
そういう人はそれでいいと思います。
信じるのも信じないのもその人次第。
でも、実際に私は視えないものが視えることもありますし、強く神様に願うときちんと叶う。
他者(他人や動物など)の立場に立って、自分が不利益を被ったとしても相手の為に尽力する。それが私。
馬鹿だと思われてもそうしかできないから。神様やご先祖様が力を貸してくれるから、いつもなんとかなるのでそれでいいのです。
周りの人達にもいつも恵まれているし。助けてくれる人が沢山。
自分(や自分の家族)の幸せを守る為には他者を悲しませても仕方がないという(無意識だとしても)利己的な思考の人って、どこかで「他者との繋がり」が上手く行かないような気がします。年を重ねるごとに「孤独」が近づいてきたり。
人でも動物でも出会ったことってきっと意味があり、縁があったのだと思うのです。
その縁を自分の成長に繋げられるのもそうできないのもその人の頑張り、心の学び。
Gさんがいうところの「とりこぼさないように」ってやつですね。
人はこの世に存在する際にその人それぞれにテーマやクリアするステージがあると思っています。
それがなんであるかが自分でぼんやりとでも自覚し、クリアする為に努力をすることで「視えない力」達が手を貸してくれるのではないかと思うのです。
色々な形でそれを気付かせてくれようと「視えない上の方々」が機会を与えてくれるのに、それに気づかず「とりこぼして」しまうのはもったいない。
私は自分で自分を恥ずかしい・情けないと思う生き方はしたくないです。
だからいいのです、馬鹿でも 笑