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スタッフの日々
鬱測定器
2017年12月12日

泣きながら「辛い、仕事に行くこともできないくらい辛い」と電話をしてきた〇〇ちゃん。

頑張ろうと思っても朝になると起き上がることができなくて仕事に行けない状態が2日続き、食事も出来ない、眠れないでたった3日で3㎏も痩せてしまったと。誰とも連絡を取りたくなくて家族にも話したくなくて3日間引きこもっていたけれど、私の顔が浮かんで、私しか話せないと思って電話をしたのだと。

「じっくり聴くからとりあえず支度して出ておいで。電話じゃ話しきれないし、ちょっと外へ出た方がいいと思うし。何か食べようよ」というと、出てきてくれました。

ご飯を食べながら話を聞くと、心配なことがあって不安定な気持ちのところに仕事の人間関係でイライラ、頑張っているのにわかってもらえない、気分を上げなきゃと思えば思うほど落ち込んでいく、という感じでした。

鬱なのかなあ、私、とも。

鬱という精神状態ではあるのだろうなとは思いました。

どんな人でも辛いこと、心配なこと、上手く行かないことなどが重なると、気持ちが落ち込んでいきます。それが解消されない状態でさらに不安な状況になれば鬱々としてしまうのも至極当然だと思います。

〇〇ちゃんの場合は大きな理由がわかりやすいのでそれさえ解決すれば元気になると思うのですけれど、他人が存在するものなので簡単には解決されない。となると自分でなんとか気持ちを立て直さないとならないのだけれど、心や体が疲れちゃっているときはそんなパワーはわいてこないし。

私からみるとその心配は取り越し苦労だよ、って思いますしそう伝えるのですけれど、もう気持ちが萎えてしまっているのでポジティブには思えないのでしょう。

会っていた時は「少し元気が出てきた!」といい、お酒をちょっぴり飲み、ご飯ももりもり食べ、デザートも食べられたくらいだったのですけれど、翌朝にはやはり起き上がれなかった様子。

そして「鬱病を測定してくれる機械がある病院に行ってきます」と連絡の後、しばらくして「鬱の傾向があるそうです」と。

そりゃあそうでしょう、今の状態は。

一過性のものだと思うのだけどなあ。

そういう診断が下るとほっとするのか、それともショックなのかは人それぞれだと思うのですが、この光トポグラフィーという測定器、どこまで信憑性があるのだろうかととっても気になりました。

そんなことがあった翌日、ご近所友人から「あのさあ、光トポグラフィーって知ってる?友達がそれで鬱だっていわれたんだって」と。

超タイムリー。

話を聞くと、その人も〇〇ちゃんと状況が似ていて、ご近所友人も「今の心の状態、大きな原因はひとつでそこを解消すればすぐに元気になると思うのよ。だから一過性な感じがするの」というのでした。

鬱々した状態のときに「鬱」だと決定されてしまうっていいのかなあ。

私もこれ絶対に鬱だと思う状態を人生で2度ほど経験したのですが、病院に行き鬱だといわれたらそこで納得してしまう気がして、家族からも診察を勧められたのですが絶対に行きませんでした。

鬱だと診断されていたらそこからの回復は行かないときとどう違うのだろう、ってこんな時には必ず考えます。

回復するまで1度目は1年、2度目は3年くらいかかったかと思うので、もしかしたらもっと早く元気になれたのかなとか、医師や薬に「頼る」ということに慣れてしまい、もっと時間がかかってしまったかもしれないなあとか。

今でも眠れない(何度も目覚めてしまう)ことはよくありますが、その時はほぼ毎晩がそうだったので、体力も気力もどんどん失われていってしまうのですよね。不眠ってとにかく落ちます、心も体も。

だから眠る為の薬を使うというのはいいのかもしれないなって思います。私は一度も使ったことはないですけれど。

泣き言をいったり薬に頼ったりするのは自分に負けた気がしてできないのです。本当の不安は実は誰にもいったことがありません。口にしたら終わりな気がして。自分が壊れてしまう気がして。

そう考えると、不安を口にできてそれを支えてくれる場所、人があるというのはまだ健全かもしれませんね。

 

今日の写真。母が「バターたっぷりできっと好きだと思うわよ」と買ってきてくれたバターバトラーのフィナンシェ。ホントだ、美味しい。そしてパッケージが可愛い♡

 

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