2017年07月06日
「奉仕」
私を視てくれたほとんどの人がいう言葉。
「あなたは奉仕の人」だと。
まあ、私の座右の銘が「自分を愛するように隣人を愛せよ」という「奉仕」を意味する聖書の言葉なので理解できるのですけれど。
人によって伝えてくれる言葉は少しずつ違い、
「あなたは前世は大天使だったのね(この方は天使に例えます)。大天使は天使の中でも位が高くて、他の天使たちの為に尽力してきたの。だからね、今生はもうしなくていいの。自分のこと、自分の幸せだけを考えていればいいの。綺麗なもの、好きな物に囲まれて笑っていればいいの。それで周りも幸せになるのよ」
「あなたの今生の課題は奉仕。もう8割方クリアしているからあとちょっと頑張って。ここで合格しておかないとまた同じような形で頑張らなくてはいけなくなるわよ。大丈夫。あなたならできるから」
「あなたは手を抜かないしストイックな性格だからすごく頑張ってきてしまったかと思うけど、もうすぐそれも終わりますよ。そのまま信じて進んでいけば大丈夫。様々な困難からあなたを神が守るから。あなたが思うよりもっと大きな結果が得られるから。もう頑張らないで笑っていて」
といった感じではあるけれど。
もういいよという言葉と、頑張ってやり抜けという言葉。
言葉だけみると反対ですよね。
私もずっと、「どっちがホント?どうすればいいの?」と思っていました。
でもつい最近、友人と話していた時に、あれ?もしかしたら全部同じことをいっているのではないかなと気づいたのです。
その友人は天使に例える人からまた別の天使をいわれていて、「元々は2人とも同じ教科書をみていたの。でも卒業後に進む形が違ったから天使も変わってきたのよ」と。
その友人は「同じ教科書を読んでいたというのは私もなんとなくわかる。でも(私)ちゃんは優等生だったから大天使で卒業したんでしょ。だから本当に優しい人。私は劣等生だったから万人には優しくないのです」といったのですが、彼女もとても優しく温かい人。頼りになるし。だけど、誰にでも心を砕くことはしない。大切な人、本当に困っている人にはとことん助けて寄り添ってくれるのだけど。私の場合はただの甘え、かまってちゃんにさえも、かわいそうだな、大丈夫かなと自分のことを差し置いて頑張ってしまうところがある。それで疲れたり嫌な思いをすることもある。神様はここを学べといっているんじゃないかなって。
だから奉仕を「もういいんだよ」というのも正しいし、「やり抜け」というのも苦しみからの経験、学びで奉仕の形を考え直すという意味で正しい。そういうことなんじゃないかと。
タロットカードの「読み」みたい 笑