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スタッフの日々
慮る
2015年11月06日

友人がSNSであげた文章の内容は「ドタキャンする人が死ぬほど嫌いです!」というものでした。

とても優しい男性の友人なのですが、ネガティブな話ばかりする人も嫌いだと以前話していました。

皆時間がないのに、そんなことに時間を取られるのが嫌なのだそう。同じ理由で遅刻をする人も嫌いだと。

まあ、そうですよね。その理由は間違っていないと思います。

でも私はこの内容にこうコメントしました。

「ドタキャン、ほめられたものではないけれど、つい昨日、ある人と話していて、「相手の心情や状況を思いやることで、いろんなことがまあ、いいかって思える。そうせざるを得なかったその人の事情があるかもしれないから、と。」私も最近はそう考えるようになりました。自分はしてはいけないことはしないように、でも、そうされてもさらっと受け流せるしなやかな心を持ちたいなって思います。」

若い頃は経験も少ないですし生きる世界も小さい。だから、自分と違う意見や考えの人を受け入れらないこともままあります。

そして、老年になってくると、今度は柔軟さが少なくなってきて、またその経験の豊かさを自らが充分にわかっていることから、新しい意見や価値観を認容できなくなってくるように思えます。

今の私はその間の世代。

だけど、ある程度の年齢になっていて、多くの問題に対して、これが正しい、これが間違っていると判断ができると思ってもいる年代。

他人に自分の正しいと思っている常識を押し出したい年頃。

これが曲者。

自分の意見を持つことはとてもいいことだと思います。

でも、それを他人にも共感してよ、というのはちょっと違うのですよね。

もちろん彼はそんなことはひとこともいっておらず、ただ、自分の意見を書いただけ。いいのです。

ただ、コメントに書いたようなことを昨日ちょうど話していたので、そういう面から相手をみてもいいんじゃないかなと思ったのでした。

なんて。

数日前のこの日記で、ブーたれていたのは誰?って感じですけど。

相手の心情を慮って、ああ、この人はこんなコンプレックスがあるからこういう言動になっちゃうのね、こんな事情があるからこういう態度になるのね、って、考えたのです。だから、まあ、仕方がないか、と納得しているのです。

でも、どこにも出さないこのゲーっていう気持ちをちょっと吐き出したかっただけ。

ってことで、流してくれるとありがたく・・・

 

今日のお弁当はなし。創立記念の礼拝のみでしたー

 

 

 

 

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