2014年11月21日
自分ではどうしようもないくらい落ち込んで、どうしたらいいのか自分も周りもみえなくなったとき、自問自答しようにも脳みそがその問題では全く機能しなくなってしまったとき。
そのときに他者に救いを求めることができれば前に進むことができるのだと思います。
そしてそのときに受け止めてくれる他者の在り方はきっと様々で、自分の性格や状況によって重たいものになったり、心を軽くしてくれるものになったり。
普段の自分ではわかりえなかった他者の存在へのありがたさをしみじみ感謝することにもなるのです。
もし自分の周りの人が苦しんでもがいているのがわかったとき、そして救いを求めてきたときには、自分がどんな状況にあっても誠心誠意その人の心に寄り添い、復活するまでお付き合いしようと心から思いました。
「あなたのことをこんなに考えてあげているのになぜわからないの?」「私も自分のことで手いっぱいなのよ、だからとことん付き合うことはできないわ」
こんな言葉だけは絶対にいわない、思わない。
そう思っています。
だって、救いを求めてきていることで、すでにその人は随分勇気を出してきているはずですし、随分疲れているはずだから。
解決はできないかもしれない。でも、寄り添って話を聞くだけで、その人は少しずつ自分を取り戻していけるはず。冷静になれるはず。
これが「傾聴」ってことなんだな、って実感しました。
今日のお弁当。
炒飯。小葱と卵。
焼小籠包。
ブロッコリーの塩昆布和え。
みかん。
すわやの栗きんとん。