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スタッフの日々
友人の決意
2014年08月01日

昨日は友人とご飯。

高校時代の塾友なので、長年の友達です。

ご主人の仕事の関係でベトナム在住なので、しょっちゅうは会えないのですが、それでもここ数ヶ月は月一レベルで帰国し、そのたびにご飯を食べているので、よく考えてみると東京に住む友人達より、よく顔をみているような。

私は彼女が大好き。

別の友人にいわせると、「彼女はちーやん(私)を甘やかしている」というのですが、彼女にいわせると「心外」らしいです。

私もちょっと心外です。

確かに彼女は私の考えや行動を否定しない。

でもね、それって甘やかしているわけではないと思うのです。だって私も彼女の考えや行動を否定しないですから。

「いつ、どんなときでも私はあなたの味方。誰が何といっても私はあなたを尊重するよ」

これが否定しない理由。それくらい信頼している関係だと思っています。信頼しているけれど自分と同化させるわけではなく、別人格として捉えられる関係。

家族や女同士の仲良しというものは、ともすると、そこの部分が難しくなります。

よかれと思って意見をしたり行動したり。いつでも正しく真っ当でいてほしいと思うあまりに厳しく批判をすることも。

それはそれでありがたいことだと思います。

でも、悩みを相談しているわけでもないのに、こちらの心情や状況を全て把握しているわけでもないのに、当の本人を置いて勝手に話しあったり、そのことで悩まれたりするのは、厳しいなあと思うのです。

じゃあ、あなたは私の人生を変わってくれるの?責任をとってくれるの?

そう思ってしまいます。正論なんていくらでもいえる。

途中まで勝手に介入しておいて、なんでわからないんだろう、馬鹿だな、もう知らない、って投げ出すくらいなら最初から静観しておいてほしいと思いますし、自分の感情をぶつけるために意見や批判をするのであれば、それは状況的に正しい行動ではないって思うのです。悩んでいる本人はいっぱいいっぱいなのですから。

彼女と私の共通の考えは「とにかく自分の心が落ち着いていないことにはポジティブな方向に進まない。まずは自分の心の平安から。そうなればおのずと周りへの配慮や気遣いができるようになる。冷静な判断もできるようになる」そこから様々なことに対処しても遅くないと思うのです。

本当はまともな感覚を持っていて、冷静に判断できる頭を持っている。お互いがお互いの人間性を信用しているから悩んでいるときは相手の意見を受け入れて寄り添っていよう。そう考えるのです。

これって、他人事だと思っているからそういえるんじゃない?って思う人もいるかもしれません。

でも彼女は「もしちーやん(私)に何かあったら、娘は私が引き受けるからって、この間、夫に宣言したのよー。夫はそこまで思えるなんてすごいねーっていっていたけれど」ってさらっといってました。

「それくらい覚悟があって、それくらい責任があって、私はあなたの意見を尊重するんだよ」って。

別に娘や私に何かがあるという話では全くないのですよ。彼女がいいたかったのは、それくらい、「私」という友達の人生に自分の人生を費やすくらいの重さを持って付き合っている、ということだと思うのです。

嬉しい話ですよね。幸せですよね、私。

そういう友人のことを娘も大好きなのです。

私は彼女に何がしてあげられるんだろう。

しっかり者の彼女は何もいらないかも。

でも、もし彼女や彼女の周りに何かがあったときには何を置いてでも駆けつけていくつもり。

宝物です、私の。

 

 

 

 

 

 

 

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