スタッフの日々
裁判員制度の判決
2010年11月16日
裁判員制度で初の死刑判決、というニュース。
事件はなんとなく知っていたけれど、今日の判決であまりにも残虐で衝撃的な内容に心臓がどきどきしました。
6人の裁判員は悩みに悩んだ末に出した死刑判決。
自分達の欲のために2人の命を奪い、その1人は生きたまま電気ノコギリで首を切断、2人の遺体をバラバラにし、海に捨てたという事件。
恐ろしすぎる。
どうしてそういうことが出来るのかが全く理解できない。
せめて最後に家族に電話をさせてほしい、という被害者の懇願も聞かず、泣き叫ぶ被害者の首を切るって。
脳みその全てを使って想像力を働かせようとしても無理。ほんのちょっぴりもわからない。
逮捕された32歳の被告は別の事件で捕まって自首。自首すると刑が軽くなるから。そんな感じだったらしい。
だけど、裁判が進むにつれ、遺族の悲しみやつらさに触れていったからなのか、少しずつ変わっていき、罪を償う気持ち、悔恨の思いも生まれてきたそう。
そんな中で裁判員たちが出した死刑。
苦しかったのではないかと思います。生きて償っていってもらうことを選ぶのか、最も重い刑を受けて償ってもらうのか。
50代の男性裁判員は「何度も涙した」と。残虐な犯罪だから死刑に相当する、だけど被告の環境、心の移り変わりを考えると生きて償い続けるべきなのではないか、と考えたのだと思います。遺族のことを思っても被告のことを考えても涙が出ると。
裁判長が控訴を勧めたのも意外な形。
だけど、なんとなくわかるような気もしました。
犯罪者を裁く形での「死」でも他人の命を決めるのは本当に難しい決断だと思う。ただ犯罪の状況を聞くだけなら、そんなの死刑で当然でしょ、といえるけれど、裁判員たちは今日に行き着くまで被告や遺族、関係者と深く関わってきたのです。そこで被告の心の動いていく様子がみえたら、そんなに簡単には決められないはず。
そういう裁判員の精神的なものも考慮したのではないかなと。もちろん、被告に控訴を勧めるだけの何かがあるのでしょうけれど。
重いですね。難しいです。
私ならどうするのだろう。判決を出した後もずっと心に重くのしかかってしまうのではないかと思います。
裁判員制度。
有意義だと思います。もし自分のところに来たら受けると思います。
だけど、、、できれば来て欲しくないです・・・
kei