スタッフの日々
生まれ変わる
2019年03月28日
人間は5回生まれ変わる。少しずつ徳を積んでいき、最後は憂うことも少ない自由な心で一生を終えることができる。
そんな話を聞いてから、自分勝手な人や意地悪な人をみると、「ああ、人生1回目なのね」と思うようになりました。
と同時に、子供の頃から「早く大人になって早く人生を終えたい」と思っていた私は、「じゃあ、一生懸命、他者の為にも思いを尽くすことで、なるべく生まれ変わらないようにしてもらおう」と決意したのでした。
決意をしたというよりは「修行だ」とつくづく感じていた人生を、「ならば仕方がない」と納得させたという感じかな。
多分、私が「生きることを辛い」と思うのは、自分の思い通りに生きていないから。
子供時代から、親や大人の期待に添おうと好きでもないことを黙々と、それも自発的にやってみたり、困っている人(動物)や手を差し伸べたほうがいいと感じた人(動物)に対して、自分の心や頭や時間やモノを「無理して」レベルで費やしたりと、「自分の為」だけに生きてきた感がないのですね。
それが嫌なわけじゃないです。
それをしないと気持ちが悪いので結局は「自分がやりたい」ということになるのでしょう。
昔から愛読書は「不幸な主人公が、それでも心がすさむことなく、いつも周りの気持ちを考え行動する」系の話。どんな状況でも真っ直ぐで美しい心を保ち続けるという、自分が自分の恥ずべき人間にはなりたくないという、「他者への優しさと自己への厳しさ」を目指すところとしていたのです。(まあ、それはあくまでも目標であって、いうほどの人間では決してないですけれど。)
その反面、好きなように生きている人をみるとちょっと羨ましくもあり。
目指す姿ってかなりストイック。
私の好きな言葉が「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」なのですが、「自分を愛するように」ともちょっとズレる部分が「生きるのが辛い」ってことなのでしょう。
難しいですね・・・
ある人に5回生まれ変わりの話をしたところ、その人は「徳を積む」をどうも違う意味でとらえているような感想をいいました。
徳って、世の中の為になるという意味はもちろん間違っていないのですが、スマホを発明したとか、仕事で大きな業績を上げ、日本経済の発展に役立ったとか、最高に腕のいい医者が沢山の患者を救ったとか、そういうことではないと思うのです。
世の中に名を残しているわけでも、大勢の命を救ったわけでもない。だけど、いつも笑顔を絶やさず、自分がどんなに苦しい時でも周りへの思いやりや配慮を忘れない人、相手の気持ちに寄り添える人。その人の存在が周りの心を穏やかに(または元気に)する人。
周りを大切にできることが徳を積むということだと思うのです。
自分の苛立ちを周りにぶつけたり、相手の状況に思いをはせることをせずに自己都合で発言したり、自分の立場を守る為に弱い立場の者を貶めたり。
そう。自分のことばかりな人は何度でも生まれ変わらなければならないのではないかと思うのです。
また、自分がされて嫌なことを他者へする人も「次回の人生ではもっと優しい人になれますように」って思います 笑
うーん。
私はまだ少なくてももう1,2回は生まれ変わるのかなあ。
憂うことなく自由な心になるにはまだ遠いからなー。
次回は誰の制約も受けずに心地よい人生が送れますように。