スタッフの日々
自分を好きでいること
2015年03月11日
友人がSNSで「私は今日から生まれ変わる。自分が自分を好きでないと人を愛せないと言うし、自分を好きになるように。」と。
少し前に仕事で何か大変なことがあったとは聞いていたけれど、どうしたのかしら、と思いました。
私が受けるこの友人の印象は「自分をとても好きな人。自分を大切にしている人。」
心配になり、「どうしたの?自分を大切にしている人だという印象だけど。確かに自分を愛せない(大切にできない)人は自信がないから他者を心から愛することが難しいのだと思う。完璧な自分である必要はなく、ダメな部分も含めてありのままの自分を好きだと思うこと。悪い部分があってもいいと思うの。その「悪い」ことが自分で絶対に許せないこと(私の場合、人を欺くとか)でない限り、いいんじゃないかな。例えば「誰かを妬む」なんて嫌な気持ちだしいいことではないけれど、頭の中で思うのは勝手。それを行動にあらわさなければ問題ないって思う。」とコメントしてみました。
それからコメントのやり取りをいくつかしたのですが、彼女に書きつつ、そのまま自分への言葉だなって思いました。
「自分を愛するように他者を愛せよ」
以前にも何度も書いているかと思いますが、私が人生で一番大切にしている言葉です。
今までこの言葉通りに感じ、そのまま心に留めてきました。
私はどんなときでも今の自分が好きで幸せだと思えていたので。辛いなと思うときでさえ、でもやっぱり幸せよ、って思えていました。自分の考えや行動に自信がありました。間違っていない、誰にも恥ずかしくない生き方だ、そう思ってきました。だから自分が好きだったんですね。
それが、ここ1年近く、自分でどうにもしっくりこなくって。
間違っていない?誰にも間違っていないっていえる?って。
苦しかったです、とても。
それが周りをも苦しめていることもわかっていたので、なおさら苦しく。それをはねのけるだけの強さを得ることもできなくて。
初めて神様に「自分を助けて」と祈りました。今までは周りのことしか祈ったことがなく、自分のことといえば、周りの幸せの為に私が役に立てるよう力を貸して下さい、というだけでした。いい子ですか?そうかもしれません。でもそれくらい周りに恵まれて幸せだったからだと思うのです。それに気づき、心から感謝もしました。
いつも正しくありたい。そう思ってきました。「正しいこと」を沢山口にしてきました。弱さを知らないゆえの強さだったのだなと今は思います。
こんなに脆い人間だったなんて、と初めて知りました。その脆さに翻弄されました。
でもあるとき、立ち上がるのは自分しかできない、誰も助けることはできない、と気づいたのでした。
その瞬間、この苦しさから抜け出そうと本気で思ったのでした。
まずは自分を愛せる自分でいようと思いました。どのような状況でも自分を愛そうと。自分の心を救ってあげようと。
そして真っ直ぐに生きようと。
まだまだ苦しく不安な気持ちはふと押し寄せては来るのですが、でも、ポキンと折れることはないような気がします。
弱い自分、いいじゃない。
今のほうがより他者を愛せるようになった気がします。