スタッフの日々

上村くんの事件

2015年03月03日

最近のニュースは上村くんの事件がほとんど。

この冬のさなか、上村くんを裸で川で泳がせ、そのまま手を縛ってカッターで首等を切って殺害したのは遊び仲間の子供。

あまりにも衝撃的な事件です。

犯人は他人の痛みがわからないのでしょうか。自分だったら、と置きかえることのできない人間なのでしょうか。

理由がなんであれ、あまりにも酷いやり方。痛かっただろうな、苦しかっただろうな、怖かっただろうな、って考えだけで恐ろしくなります。

他者(人でも動物でも。)の命を自分の心の都合だけで奪うというのは絶対にあってはならないことだと思います。普通の感覚であればそれが当たり前。残虐な方法なんてもってのほか。だから、このような事件を起こす人間はやっぱり「普通」の感覚じゃないのだと思うのです。

殺してやりたいくらい憎い、と思う相手がいてもおかしくはないです。でも実際にはやらない。それが「普通」。思うまではありえること。でも行動に移さないのが「普通」。これが普通かそうでないかの違い。

何でもそうだと思うのです。頭の中で「思う」「考える」までなら、どんなことでも、誰にでもありうる話。でもそれを言葉にしたり行動したりした時点で、形になってしまう。その形は、内容によっては他者をとても傷つけることになってしまうのです。体の傷だけじゃなく、心の傷も同じ、いや、それ以上になることもあるかと思うのです。

怖いですよね。

 

上村くんのお母さんがコメントを出しました。

出かける息子をもっと強く止めればよかった、と後悔していました。

上村くんに関しては、事件の前から学校に行かなくなったり、顔や体に傷がついていたりと、どう考えても心配な状況が続いていました。それなのにどうしてもっときちんと子供をみてあげなかったのかと、世間では母親を責める声も沢山あるようです。

でも今、上村くんを亡くして、それもあんなに酷い形で息子を殺された母親は、きっと誰よりも自分を責めているに違いないと思うのです。犯人を恨むより強く自分を恨んでいるんじゃないかとさえ思います。

私ならそう考えるから。

あなたのせいで息子が殺されたのよ、なんて、誰がいえるのでしょうか。正しい(と思われる)ことを振りかざすことで、本人はすっきりするかもしれない。でも、その「すっきり」って必要でしょうか。

 

そんなことを考えてしまう事件です。

 

 

 

 

 

 

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