スタッフの日々
名誉心=慢心?
2013年08月02日
新聞でいつもコラムを書いているお坊さんがいるのですが、先日は「名誉心の裏にひそむ慢心」という内容でした。
最近会社の人間関係で行き詰っている「この1週間くらい1度も笑ったことがない」という友人と話しているうちに、友人から笑顔がこぼれ、「あー、久しぶりに笑いました」と嬉しそうにいわれ、そのお坊さんは嬉しく思ったのですが、あとから『その方が「かわいそうな」状況に陥っているからこそ「自分のおかげで笑顔にさせてあげられた」と、自分が活躍する余地のあることを喜ぶ、尊大な慢心が隠れていたのです』と気づいたのだそうです。
この心理、哲学者スピノザは「自分が影響を与えて、相手に快が生じていることを知ると、私達には快が生じ、この快の感情のことを名誉心と考える」と分析しているのだとか。
お坊さんは『けれども困ったことに、こうした名誉心(の煩悩)が生じるには、相手が困っているほど感謝してくれ、都合がよいのではないでしょうか。それゆえ、精神的にぐらついて自信の持てない人が、困っている人を探し出して世話したがったり、宗教家になりたがったり、カウンセラーになりたがったりしがちなのです』と続けています。
自分のことはさておき、、、わかる気がしました。
メンタルケアスペシャリストの勉強をしていたときにまず感じたことは、「色々な形でメンタル面の悩みを抱えていた」という受講者が多く、「自分が辛い思いをしたので、今度は誰かの役に立ちたい」という動機をよく聞きました。
誰しも悩んだり落ち込んだりすることはありますが、カウンセラーや病院にかかる程の人の割合がかなり多いのに驚きました。
まあ、だからこそ身近な問題として考え、関心を持つようになったのでしょうけれど。
そして、最近、あるところで悩み相談のようなもの(ボランティアのようなものです)を受けているのですが、ここでもやはり、同じようなタイプの人に出会うことが多いのです。
私は相談を受ける立場なので、何度もやり取りしながら一緒に考えていくのですが、同調するだけでは「悩みを一緒に考える」という趣旨とはズレてしまうので、違った角度からのコメントや「こうしたらどう?」といった提案をすることもあります。
すると、突然やり取りを遮断してしまったり、いい加減に終了させてしまう相談者が少なからずいるのです。
人間関係でそれってしてはいけないことですよね。
きっと相談者の方々もわかっていると思うのですが、自分のメンタル的にそうせざるを得ない感情になってしまうのかな、と思うのです。
悩み相談なので、そういうことになっても仕方がないなと理解するように努めてはいるのですが、そういう人の中には自分も相談を受ける立場として動いていたり(相談者のプロフィールをみることができるのです)するのです。
メンタルケアスペシャリストの受講者のこともあったので、ああ、やっぱり、と思ったのでした。
これぞまさしく、そのお坊さんのいうタイプの人達ですよね。
誰かに喜んでもらうことが自分の喜びにもなるというのは間違った感情ではないと思うのです。私もそうですし。
だけど、そのためには自分の心が健やかであることが大前提なのだと思います。
健やかでい続けることはとっても難しいですけれど。