スタッフの日々
望月崇英さんの訃報を受け
2021年03月10日
「東京・銀座で托鉢を続け、東日本大震災の被災地で死者を弔い続けた一人の僧侶が、新型コロナウイルス感染症で亡くなった。」
目に留まったネットのニュース。
望月崇英さんという、高野山の僧侶。東日本大震災以来、現地に出向き、祈り続けてきたのだそう。
震災後、しばらくは毎週のように、今も月に1度は弔いに訪れており、普段の生活は午前中に友人のお店でアルバイトをし、午後からは銀座和光の前で托鉢。その場で様々な人の悩みを聴いてもいたのだとか。
そんな人がコロナで今年の1月に亡くなってしまったのだと。
なんともいえない気持ちになりました。
そんな私は今、妹家族と近所のお店で食事をして「お腹いっぱいだね!」と帰宅したところだったから。
それが悪いわけじゃない。
だけど、私って綺麗事な人間なのではないだろうか、って。
いつも、いつでも、どこかでそんな風に思ってしまうクセがあるのですが、、、自分が特に不足もなく、むしろ恵まれた状態で生活しているのに、その一方で「不幸な動物の為に」「困っている人達の為に」と声を上げて動いていることに勝手に理不尽さを感じてしまうのです。
「幸せな王子」という絵本の中の銅像の王子のように、自分が持っているものを全て差し出して他者の為に尽くすことこそが目指すべき形なのではないかなんて考えてしまうのです。
望月さんはまさに「幸せな王子」。
そこに行きつくのは尊すぎてなかなか難しいけれど、悩みながらも結局は王子の為に働いて自分の命を使い果たしたつばめを目指して生きていきたいと思うのでした。
神様が私に与えた命は私のものじゃない。
何かの役に立つ為にこの世におかれたはずなので、気合を入れて生きなくっちゃ、ですね。
望月さん。お疲れ様でした。ありがとうございました。