スタッフの日々
保護犬だから
2019年12月18日
私は「保護犬だから」という言葉が好きではありません。
だから何?って思ってしまうのです。
保護活動をしている人の中には「保護犬を沢山救っているのだから」いいことをしているのだ、と思っていることが少なからずあるし、「保護犬を飼っているからいい人だ」と言葉にしたり。
保護犬を沢山救っているのは確かに素晴らしいと思います。が、自分でそう思ったり口にした瞬間に自己満足にしか感じられなくなってしまうような気がするのです。
周りが言ってこその美徳。
保護活動をするのはあくまでも自分で好んで(使命感やみていられないという気持ちなど)していることで、誰かに頼まれたわけじゃないはず。それをすることで本人の気持ちが納得できるから、ですよね。
だから他人に押し付けてはいけないし、それを何かの言い訳にはしちゃいけないよねって思うのです。
もう一つの理由は、保護犬というカテゴリーにわざわざ入れて欲しくないから。
ある人が「保護犬は立派な名前をつけてあげないとダメなのよ」「保護犬だから綺麗にしてあげないと。首輪なんかも立派なものをつけて」とよく言うのですが、それを聞く度に、あーあ、差別しているじゃないの、保護活動をしているあなたが、って思ってしまうのです。
昔、うちに「大食(たいしょく)」という名前の雑種犬がいました。生まれたてでへその緒がついたまま、仮死状態で4匹、縛ったコンビニ袋に入れられゴミ収集場に捨てられていた子で、保護した時に全部適当につけた名前(一番大食漢だったから)で、大食だけがそのままうちの子になったので名前もそのままで、という経緯なのですが、「そんな変な名前をつけて、かわいそうに」などという人もいました。でも、その人は大食が雑種の保護犬だから「変な名前でかわいそう」なのではなく、どんな犬に対しても大食はかわいそう、という意味で言っているので笑っていました。
でももし、「保護犬なのにそんな名前をつけて」といわれたら、嫌な気持ちになったかもしれません。
保護犬だろうと雑種だろうと関係ない。
私にとって、歴代の犬の中で大食が一番賢くかっこいい犬でしたしね。
保護犬だとしてもご縁があって幸せをつかんだら、もう保護犬だったことなんて忘れちゃっていいって思うのです。
うーのことを保護犬だというのは、クラウドファンディングをしたり、団体を設立する為にそういう存在があること、ブリーダーやペットショップの仕組みについて知ってほしいから。広報部隊ですね、うーは。
でも、私はうーを特別扱いすることはなく、「うちの子」の1匹というだけ。むしろ、人間の都合でずっと預かりとして育てざるを得なかったなるのほうが気を遣ってしまったように思います。それってなるにとって決していいことではなかったなあって思っています。ごめんね、なる。
そして。
純粋種だろうが雑種だろうが血統書があろうが保護した子であろうが、同じ犬。そして私達と同じ「命」。
そんな気持ちで目の前の「命」と向き合うのが普通、ってみんなが当たり前に思えればいいのにね。
妙玄さんのところで最期を迎えた「あさひ」を知り、強くそう思いました。