スタッフの日々
どう思う?
2017年11月22日
「鬱っていう友人Aが友人Bに話を聞いてと連絡をしてきたのだけれど、Bが私に『あなたも一緒に来て』っていうのよ。どう思う?」
Aさんは仕事もいまひとつな上、恋愛事情もよくないのだとか。そして、昔からしょちゅう周りに心配をかけてしまうタイプなのですって。
Bさんは仮面夫婦のようにお互い好きなことをしているそう。
「うーん。私なら行かないかな。あなたは端からみるととても幸せそうでキラキラしているし。鬱状態の人からするとそれはさらに自分の闇を感じてしまうんじゃないかと思うのよね」というと、「そうなのよね。私もそう思ったの。私は他人に悩みを話さないから周りにはただの能天気にしかみえていないと思うから。それに私がAになんて声をかければいいかわからないし。説教しちゃうもん。それって鬱の人にはいけないんだよね。」
よくおわかりで。
「よかったよ。実は私も断ったんだけどさ。それでよかったのかなあと思って。」
いいと思います。
AさんがBさんを相談相手に選んだってことは、Bさんに聞いてほしいってことだから。
自分があまりうまくいっていないなあと思ったり、落ち込んでいるときは同窓会に出たくないと思う感情と同じで、夫婦間に問題を抱えている(とAさんが思っている)Bさんならば共感してくれるだろうとか、自分だけが不幸だと思わなくて済むって思っているんじゃないでしょうか。
私の周りにもそういう人がいました。
こちらは心配ゆえにご飯に誘ったり、ことあるごとに声をかけたりしたのですが、今から考えると、周りと比べて自分の境遇の辛さに不平等さやうらやむ気持ちがあったんだろうなって思うのです。
それって元々の性格もあるような気がしますけれどね。
他人のせいにして自分で解決しようという力を出さずに憂うことでその場をしのぐタイプ、なのかなあと。
一時はそれでもいいと思いますが、どこかで自分でエイヤッって頑張らないと。
まあ、憂っているうちに何か展開があり、解決することもありますけれどね。特に恋愛関係の場合。新しい人が現れればそれで解決!ですから。
「じゃあさ、鬱状態の時ってどんな言葉をかければいいと思う?頑張れなんて禁句でしょ」
頑張れ、軽はずみな共感、妙に前向きな言葉などは厳しいように思います。
それと正論をぶちかますこと。
相手の為を思っての言葉だとしても鬱状態の人間にはきついだけ。だって、正論なんて本人も重々わかっているでしょうから。
不安で辛くて仕方がない時には同じ話でも面倒そうに感じさせずに何度でも聞いてくれる人が一番な気がします。