スタッフの日々
なぜ?
2017年06月24日
発達障害だろうと推測される知り合いがいる。
恐らくADHD。その上、別の精神疾患も発症している。
本人も「自分は何かおかしい気がする。鬱かもしれない」くらいには思っているみたいだけれど、これだ!というものには気づいていないと思う。
私は専門家ではないので絶対そうだとは言い切れないけれど、でもその精神疾患に関してはほぼ100%そうだと思っている。
その人と身近に接する時間の多い数人も同じことをいった。「この人、○○(疾患の名前)ですよね?あまりにもおかしく感じることが多くて調べたらここに行きつきました」と。
精神的なアップダウンも激しく、ネガティブになりがちで他者との関係でガタガタすることも多く、抱えている悩みの原因の多くが私からみるとここに行きついてしまうのだけど、もしそれを本人に伝えても落ち着いて受け止められないばかりか、プライドを傷つけられたと激昂してしまい、ますます悪化してしまうような気がしていえずにいる。
治るものであればいいけれど一生抱える障害だし、その精神疾患に関しても、本人が気づき、努力をすることで寛解に向かうことはあれども、完治するのはなかなか難しいと思うので、他人が簡単に口にしてはいけないものだとも思う。
この人の行動、思考回路、他者への共感性、他者との関わり方、感情コントロールの困難さ、、、一般的な人とは何かちょっと違う、どうしてそうなるの?と何度も何度も感じ、自分で色々と調べた結果、その精神疾患がぴったりと当てはまった。
そこからは専門の医師やカウンセラーに意見を聞きに行ったり、関連する本をいくつも読んだり、ネットで調べたり。たまたま友人の中に同じ疾患を身近な人のサポートと本人の努力で寛解させた人がいたので話を聞いてみたりと、自分でできる限りのありとあらゆる勉強をした。
様々な形で学んだことで頭では言動も思考回路も理解できるようになった。頭ではね。
でも、どんなに頭でわかっていても、その病気を抱える人に寄り添うことは並大抵のことではなかった。大切に思えば思うほど心が潰されてしまう。利害関係があったり、適当にいなしていけるような関係であれば、そうはならないのだろうけれど。
悩んで苦しんで、その言動の理由や本音を都度都度一生懸命考え対処していくことによって、今はようやくその思考回路や言動を心で理解できるようになった。と同時に「私の心の置き方」や接し方もわかった。私がついていなくっちゃという気持ちではなく、もっと深い感情。人生で最も苦しいと思った私だったけれど、本人はそれ以上にきっともっと苦しんでいる。毎日のように上下してしまう気分。他人のちょっとした言葉にも反応してしまう心。ブレ続ける意思。辛いに決まってる。だから私はもっと頑張ろう。強くなろう。そう思った。
今では同じ疾患を抱える人のパートナーの悩みや苦しみに対してアドバイスする仕事ができているくらい、病気への理解は深まったと思う。
この疾患を抱える人の中には発達障害を持っている人も多いと聞く。
というより、その人の場合は、発達障害があるから何かをきっかけにしてこの疾患も発症してしまったのではないかと今では思う。
ADHDの特徴によくあてはまる。こちらの話の意図を汲んでもらえない、会話が成り立たないと思うことが多いのも、ああ、だからか、と理解できた。
ますます生きづらいだろうなと思った。
アスペルガー(と思われる)別の知り合いはあるコミュニティの中でトラブルを起こしていられなくなった。
本人は周りが去って行った原因が自分の言動や考え方にあることを理解できないまま、被害者意識を持ったままでその場から離れることになった。
辛いと思う、本人は。だって分からないのだから。
あとから聞くと、その人は学生時代から他者との関わりを上手に構築できず、トラブルを起こしてばかりだったのだとか。
もし、その人を大切に思う家族や友人がいれば、そして本人がその人達の言葉をきちんと受け止めていれば、この年までこんなにトラブルを起こし続けることもなかったかもしれない。
神様はどうしてこの人達にこんな苦難を与えているのだろうか。
「神様は乗り越えられない困難は与えない。その人が乗り越えられる力があるから与えたのだ」
その言葉はよく聞くし、私自身も何か辛いことがあるとそう思うことにしている。
でも、乗り越える為にはその困難を受け止め、困難に立ち向かう強さがなによりも必要。
まずは困難の原因を自分で把握しないとどうにもならないのに、それが分からず、ただ、誰かのせいにして周りを恨んで状況を憂うだけなら、神様が苦難を与えた意味がないように思う。
じゃあどうして?
難しいね。
私に命を与えた神様。
それはなぜ?