スタッフの日々
悩んでいる人に対して
2015年11月10日
仕事や勉強が手につかないくらいの悩みを抱えているとき、本人は「そんなことしている場合じゃない。仕事(勉強)しなくっちゃ」と、それすらも悩みになっていきます。
心を入れ替えて頑張ろうと努力をしても、ふと気がつくと、元の悩みについて考え込んでしまっている自分がいます。
苦しいから周りに悩みを打ち明けたりします。
一度話をすると、口に出したことで少し気が楽になったり、不安が一瞬落ち着いたように感じるので、すぐにまた頼りたくなります。何度も連絡をしてしまい、悩み相談を続けてしまいます。
聞いているほうは堂々巡りだなあ、と思っていくのですが、本人は毎回少しずつ状況が違うのです。
そのうちに、付き合いきれない!と突き放す人もいますし、正しい(と思われる)意見をいうことで早く目を覚ましなさいよ!と喝を入れる人もいます。フェイドアウトしてしまう人も。
どれも理解できます。
だって、皆自分のことで忙しいのですから。相手を大切に思うあまりに、何故いつまでもすっきりしないの!という怒りを感じるのもわかります。こんな人じゃなかった、と、幻滅することもあると思います。
私も以前は悩める人に常識や道徳を振りかざしていました。相手が心配で、早くいつものその人に戻って欲しいと思っていたから。
でも今は、そうは思いません。
だって、悩んでいる人はただでさえ、辛いのです、苦しいのです、弱っているのです。
そんな人に強い意見をいったところで、その人が楽になれるとは思わないからです。
皆バカじゃないですから、冷静になればそんな正論、わかっているのです。それができない心情だから悩んでいるのです。焦っているのです。
悩んでいる人に強い意見をいう人は、無意識に上から目線で語っているような気がします。だんだんと立場もそうなってきたり。
だから私は、どんなに同じ話を聞くことになっても付き合おうと思います。わかる、辛いよね、どうしようもないよね、と共感します。
その中に「私だったら」という意見も入れますが。
そのうちに悩める人は少しずつ、または一気に回復に向かっていくはずです。本人が、「こんなことしている場合じゃない、頑張らなくっちゃ」と思っている人であれば、必ず何らかの落ち着きをみせるはず。時間が解決してくれるかもしれないです。
あるサイトに上記のようなテーマについての記事があり、その中の言葉に「正しさで人は救えません。正しさには愛がないのです」と書かれていました。
本当にそうだと思いました。
そして、悩み相談を受ける側の不満として、「何度も話を聞いてあげたのに、突然連絡が来なくなったのよね。これだけ迷惑や心配をかけたのだから、こうなったよ、とか、こんな状況だよ、とか、報告があってもいいと思うのだけど。」という声もよく聞きます。
確かにそうですよね。
でも、こういう不満をいう人はたいてい、強い意見をいっていた人。
悩めるほうは、毎回ダメだしをされて余計にヘコむ上、ダメなやつだと思われちゃったよね、ともう対等な気分になれないのです。ああ、いうんじゃなかった、関係が変わっちゃったような気がするな、と思ってしまうのです。だから、申し訳ないという気持ちと、関係が変わってしまったことへの辛さ、これ以上自尊心が傷つくのは避けたいと思うことから、離れてしまうのだと思います。
相手を思って色々とアドバイスしたのに何よ、それ、って思うかもしれません。
でも、その大切な相手が苦しんでいるときによかれと思ってさらに苦しめてしまったのは事実なのです。
人ってそんなに強いものじゃない。
強くいられる状態ならば何度も人に悩みなんか話さない。
一般的な常識や道徳は誰にでもいえるのです。
悩める人が求めているのは心を楽にしてくれる人、勇気を与えてくれる人、寄り添ってくれる人。
甘えですか?いいじゃないですか。誰だって好き好んで苦しんでいるわけじゃないのですから。
私はそう思います。
今日のお弁当。
菜飯。
焼肉。
人参ともやしのナムル。
スナックトマト。
洋梨。ラ・フランス。