スタッフの日々

考えました・・・
2013年08月21日
昨日のドラマ「救命救急24時」には色々と考えさせられました。
内容は「救命センター医局長(主人公)の小学生の甥が川から転落、運ばれたときにはすでに脳死状態で、臓器提供を行うか否か、家族として医師としてどうすればいいのか、両親の思い、臓器提供カードを持っていた本人の意思、何が正解なのか、何を選択すればいいのかを、それぞれがそれぞれに悩み、決断をする」というものでした。
本人の意思を尊重して、結局は両親も主人公も臓器提供に賛成するのですが、私だったらきっとできないだろうと思いました。
以前から母は「私が死んだら使えるものはなんでもあげて」といいます。そのたびに私は「どんなに綺麗な見た目にしてくれたとしても、目がなかったり、体に大きな傷を作ったママはみたくない。目がなかったら天国で何も見られなくなってしまうかもしれないし」と答えます。
元々そう思っているのに、昨日の話は脳死状態。体は温かく一見、寝ているよう。もしかしたら突然目を覚ますこともあるんじゃないだろうか、と考えてしまい、自分の意思で最期を決めてしまうなんて絶対にできないと思うのです。
ドラマでも主人公は甥の意思を尊重し、悩んだ末に臓器提供に賛成するのですが、提供後の冷たくなった甥に触れた途端、「自分が命を奪ってしまった」と冷静な状態でいられなくなってしまいます。
きっと私も同じようになってしまうと思います。
これは本当に人それぞれの感覚の違いだと思うので、「多くの人の役に立った甥を誇りに思う」と考えられる人もいると思います。でもきっと、どんな状況になっても私は家族の臓器提供の決断はできないと思いました。
そんなテレビを観た翌日の朝の新聞が「淀川キリスト教病院」ホスピスの記事。
毎週土曜日は本人の食べたいものをと、毎回、患者さんに希望を聞いて、そのメニューを出すのだそうです。
末期癌の男性は「今週はお刺身が食べたいな」
美味しいと喜んで食べた2日後に昏睡状態におちいり、数日後に亡くなったと書いてありました。
他にも希望メニューの一覧のような表が載っていて、「30代女性:ホットケーキ」「60代男性:坦々麺」「30代男性:オムライスとハンバーグ」「50代女性:チョコレートパフェ」などとありました。そのホスピスの患者さんは1~2ヶ月くらいが平均余命だとも。
わかってはいるものの、文字で見るととても重いです。
命の終わりが近づいていることをその人なりに受け止め、残された時間を幸せに過ごしたい、そして周りもそれをできるだけ叶えてあげたいと思う、、、そうなのですが、そこまで前向きにとらえるようになるまでは心も体もとてつもない苦しみがあったんだろうな、と考えてしまうのでした。
新聞を読み終わり、テレビに目を向けると、嵐の大野くんにインタビュアーが「もし余命1日だとしたら最後に何をしたいですか?」と質問をしていて。
「やっぱり家で家族と一緒に食卓を囲みたいですね」と答えていました。
私も同じです。実家のテーブルで母の作ったご飯をいつものように家族皆であーだこーだいいながら笑って食べたいなあと思います。
今日のお弁当。
サンドイッチ。たまご、サーモン、紅茶ジャム、はちみつ。
クリームチーズ。